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2012年01月16日更新分…垂水千本イチョウの画像の紹介です。


上記画像は、垂水市の千年イチョウの画像です。左は、県道沿いにある駐車場で、平日の昼間の時間帯ですが、車が駐車場に2/3位停まっていました。右は、県道より上のコースを道路の反対側から撮った画像です。この日は時間がなく、上のコースは回れませんでしたが…。


上記画像は、千本イチョウの県道より下のコース入り口にある看板です。看板を読んでみると、土地を所有されている個人の方(ご夫婦)が昭和53年から毎年少しずつ切り開きながら植樹し、現在では約1200本のイチョウが植えられているそうです。県道より下のコース入り口と出口付近には無人の販売所があり、銀杏のパック詰めが売られています。


上記画像左は、イチョウの葉が随分散っていますが、千本イチョウの並木道です。もう少し早い時期なら「もっと綺麗なはず!」と思いながら撮りました。右の画像は、県道より下のコースを1番下まで降りて行き、撮った画像です。ただ、あまり時間がなく息切れしてしまいましたが…。


上記画像左は、ズームにて撮ったイチョウの葉ですが、桜島の火山灰の影響で、必ずしも綺麗な状態ではないです。右の画像は、県道を下って行く帰り道に撮影した千本イチョウです。ごくごく一部しか写っていませんが、千本イチョウの全景が見渡せる良いポイントがあれば、綺麗だろうなと思って撮影しました。

上記画像は、県道より下のコース出口付近にある駐車場の一角に設置されたレリーフの画像です。出来るなら木漏れ日がさす黄金色の絨毯ような並木道を歩いてみたいものです。
2012年02月09日更新分…垂水島津家関連と第6垂水丸遭難者慰霊碑の画像の紹介です。

上記画像は、現在の垂水小学校の敷地内に残るお長屋の画像です。お化粧直しをされているとはいえ約400年前の木造建築物です。私が小学生の頃は、運動会や体育の授業で使用する道具が収納されていたような気がします。


上記画像は、お長屋とお仮屋の案内板です。林之城の事を後に館、もしくはお仮屋とも呼ばれていたそうです。「明治維新のまでの約250年間このお仮屋を中心に垂水の政治が行われてきた」と書いてあります。


上記画像は、築城後400年を記念して建てられた林之城跡の記念碑と案内板です。山林原野を切り開き林之城(平城)を築城後、垂水城(荒崎)から家臣団とともに移り住んだようです。垂水小学校の周辺には、今でも〇〇馬場(道路)という振興会名が残っています。また、垂水城があった場所近辺には元垂水や荒崎という地名や振興会名が残っています。

上記画像は、第6垂水丸遭難者慰霊碑の画像です。昭和19年2月6日転覆沈没事故により亡くなられた方々を慰霊する為に建てられていた慰霊碑を旧垂水港(旧フェリー発着場)に隣接する現在地に移設・整備されました。事故当時、定員350名に対して肝属郡(当時)の方々を中心にして約800名の方が乗船されており、200m沖合いでバランスを崩し転覆沈没したという事です。船室外に居て海に投げ出された方は、比較的助かった方が多いようですが、船室内に居た方を中心に466名前後の方が亡くなられたそうです。実は、私の父方の伯父(長兄)も鹿児島市内まで参考書を買う為に乗船しており、犠牲になったと聞いています。
2012年03月07日更新分…早春の花の画像の紹介です。


上記画像は、両方とも我が家の鉢物のクリスマスローズの画像で、花びらにスポットが入る紫系の花です。逆光ですが、朝日に透けた花びらもいいものです。撮影以降も次々に咲いているので、もうしばらく楽しめそうです。


上記画像は、両方とも美豊泉のプランターのクリスマスローズの画像で、花びらにスポットが入らないピンク系と濃紫系の花です。今年は、白色系の花の開花が遅く、同一色系統の花ばかりです。こちらも白色系が咲き揃うと、もっと楽しめると思います。

上記画像は、2月の中旬頃の我が家の畑の梅の花の画像です。このあと続々と開花しましたが、風雨で散れてしまいました。
2012-04-03 12:54:00
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